ゲームは愛と覚悟

「ゲームを製作する上で大切なのは何ですか?」
というのは初心者の定番の質問だ。質問するのは簡単だが、答えるのは難しい。何故ならゲーム製作者たちにも、それが何なのか良く分かっていない。強いて言うなら「全部」だが、そんな答えを彼は求めていない。
彼は、ゲーム作りの元素を知りたいのだ。最も抽象的で、最も核心に近い答えを望んでいる。

それは「愛と覚悟」だ、と今のぼくは言う。

反証

  • 根気

根気は必要だ。作り始めたゲームを完成させるために、一度ならず根性を見せなければいけない時がある。しかし、根気は元素ではない。根気はゲーム製作に対する情熱と、大変さに対する覚悟から生まれる。

  • 技術

勿論、ゲームを製作する技術は必要である。が、技術はそこまで崇高なものではない。天性の才能が必要なわけでもないし、教材はあちらこちらにあふれ返っている。近年は専門的な知識が無くともゲームを作れるようなミドルウェア・ツールも多い。技術なんてものは後から付いてくるものだ。

  • 知識・ノウハウ

これも技術と同じで、後から付いてくる。やる気さえあれば、この手のものは好きなだけ学習したり、製作を重ねるうちに身についてくる。
それに、知識やノウハウだけでは足りない。それだけでゲーム製作の全てを語れるなら、所謂「クソゲー」は世に生まれるはずが無い。

  • 努力

要らない。努力をするのではなく、夢中になるべきなのだ。学ぶという行為を「努力」と呼ばなければできないなら、きっとゲーム作りには向いてない。

  • 誤魔化す力

大切だ。ゲーム製作の九割は妥協と誤魔化し、なんて言う人もいる。あながち間違いじゃない。しかし、ここで求められているのはゲーム製作の元素。残りの一割を答えなければいけない。

  • 向上心

新しい物事を学び、習得していくには飽くなき向上心が求められる。向上心の他にも独創性だの集中力だの三文字熟語は沢山あるが、やはり元素ではない。

大事なものである。が、それは手段である。アイデアは愛から生まれる。デートのプランを立ててから人に恋する人はどこにもいない。

立派な答えだ。決して間違いではない。しかし、ちょっと余分が多い。ゲームは飯を食わない。ゲームは怒らない。ゲームは一途に、ゲーム製作者の愛を求める。

  • やる気

それは、愛から来る。

愛、という言葉には沢山の意味が込められている。活動そのものに深い情熱を抱けば、それは極めて強い原動力となる。やる気も、根性も、向上心も、湯水のように湧き出てくる。

そして、愛は具体的なファクター(要素)でもある。特に、同人ソフトの製作では重要だ。ボードゲームを作る時、操作はキーボードだけで大丈夫だろうか。パッドで操作したい人もいる。或いはマウスで。数値を上昇させるための動作は、上昇ボタン▲を押すだけで十分だろうか。方向キーを使いたい人がいるかもしれない。マウスホイールを使いたい人がいるかもしれない。設定画面から元のゲーム画面に戻るとき。パッと戻ってしまっては味気ないかもしれない。フェードアウトを入れるべきか。ストロボフラッシュか。或いはシェーダーでエフェクトを入れるか。どうすればユーザがカッコイイ!と思えるUIを作れるのか。
目立たない場所、小さな場所、ゲームの本質には関わらない場所。仕様書にも書いてない世界がゲーム製作には沢山ある。それらはあまりにも面倒くさいし、数も多い。義務や褒章程度じゃとてもやってられない。ならば、愛を注ぎ込むしかないのだ。たこやき器にタネを入れるがごとく、どっぷりと。その積み重ねが、ゲームの品質を向上させる。

覚悟

さて、覚悟はというともっと現実的な話だ。
実は、覚悟は愛と比べると元素としては弱い。冥王星みたいに、大きめな衛星に近い。しかし、必要不可欠だ。ゲーム製作を愛するなら、「愛する覚悟」が必要だからだ。

ゲーム製作は決して楽ではない。変なバグは起こる。自信持って作ったゲームシステムが反吐が出るほどつまらない。時間が足りない。やる気が足りない。アニメも見たいしゲームもやりたいけど、それらを全て我慢する。マスターアップ前は毎回地獄だ。
だからといって、努力やノウハウ、根性だけでそれを乗り越えることはできない。徹夜明けのマスターアップ一時間二十分前。努力もノウハウも根性も、全て吹っ飛んでいる。まるで生きて彷徨う抜け殻のように、一心不乱にキーボードを叩くのだ。悟りさえ開けそうになる。
だから、覚悟するのだ。愛するという覚悟。暗闇の荒野に、進むべき道を切り開くために。*1

覚悟完了。それでは、ゲームを作ろう。

*1:ジョジョ五巻より、ジョルノ・ジョバァーナの台詞から